脳動脈瘤クリッピングやバイパス・トラッピング等の高度な開頭手術で、術者は「軟膜」をどう扱うのか。この記事では、未破裂脳動脈瘤に対する開頭手術から脳血管内治療(コイル塞栓術・フローダイバーター・WEB等)まで得意とする脳神経外科医として、私が専攻医時代に教わった「軟膜を破らない」技術と手術リスクへの向き合い方を、書いてみたい。
「破ったら、負け」——専攻医のころに教わったこの一言を、今でも、私は手術室で何度も反芻している。脳手術で軟膜という薄い膜を扱うとき、術者の心に最後まで残る言葉だ。
脳の表面には、薄い膜がある。pia——軟膜と呼ばれる、ラップフィルムよりも遥かに繊細な、透き通った一枚だ。
脳手術では、この軟膜を「破らないこと」に、想像以上の時間が費やされている。患者さんからすれば、手術がなぜそんなに長くかかったのか、分からないことも多いと思う。けれど、その長さの多くは、何かを「した」時間ではなく、何かを「しなかった」時間だ。
正直に書くと、私は若い頃、何度かこの軟膜を破ったことがある。今でも、その時の感触を、指先が覚えている。
そして、破らずに最後まで剥がしきれた時の、あの息を細く吐く瞬間の感触も、同じくらい身体が覚えている。脳手術というのは、ずっと「壊さない」ことと「壊れるかもしれない」の間で、息を吐き続ける仕事だ。
「破ったら、負け」と教わった日
専攻医時代、上の先生のオペに入っていた時のことだ。
インターヘミスフェリックアプローチ——左右の大脳半球の間を、奥へ奥へと分けていく手術だった。私は助手鏡を覗き込みながら、何時間もただ視野を支えていた。先生の手は、信じられないくらい、ゆっくりと動いていた。
何時間目かに、先生はぽつりと、こう言われた。
「インターヘミでも、pia が剥けたら負けやで」
その時は、なぜそこまで「負け」と表現するのか、正直よく分からなかった。たかが薄い膜じゃないか、と心のどこかで思ってもいた。技術的に少しくらい破れることはあるだろう、と。
その思いの浅さを、私はその後、自分の手で何例か破って、思い知ることになる。
軟膜という、最後の一枚
軟膜は、ただの薄い膜ではない。脳の実質を覆う、最後の、最も繊細な一枚。その膜が破れた瞬間、その下の脳組織が、わずかに露出する。
すると、何が起きるか。
その先の剥離が、急に難しくなる。膜が剥がれていれば、組織は寄り添わない。何かを起こすたびに、その下の脳がついてきてしまう。それに加えて、出血する。
そして何より、私たち外科医の手の動きが、変わる。「もう一度破ってはいけない」という緊張が、それまでの倍以上の重さで、指先に乗ってくる。手術全体のリズムが、わずかに崩れる。
そして患者さんの脳には、確実に、ひとつ小さな傷が増える。それが何になるかは、誰にも分からない。後遺症として顕在化するかどうかは確率の問題だが、ゼロではないし、ゼロを目指すのが私たちの仕事だ。
だから「破ったら、負け」なのだと、何例も経験して、ようやく理解した。
進まない時間のなかで
手術中、もっとも怖いのは、進めてしまうことだ。
膜を破らないように、丁寧に分けていく。少し進んでは、止まる。視野を整え直し、リトラクターをかけ替え、綿シートを置き直す。また、少しだけ進む。
外から見れば、何もしていないように見える時間が、長い。実際には、ものすごく集中している。一秒一秒、判断している。それでも、外から見れば、止まって見える。
視野の奥では、ピンセットの先が0.01ミリ単位で動いている。膜と膜の脳脊髄液をすこしだけ吸引する。そしてできた空間が、二枚の薄い膜をそっと持ち上げる。私はその一瞬の隙に、もう一段だけ向こうへ進む。一回の操作で進めるのは、本当に、わずかだ。
「長くなりました」と伝えるとき
患者さんのご家族には、申し訳ないと思うことがある。「手術が予定より長くなりました」と説明すると、不安そうな顔をされる。何かトラブルがあったのではないか、と。
実際には、トラブルではなく、トラブルを起こさないために、丁寧に時間をかけているのだ。けれど、それを上手く伝えるのは、難しい。
「先生、丁寧にやってくださってありがとうございました」と仰っていただける時、私は少しほっとする。この長さは、ちゃんと意味のある長さだったのだ、と、認めてもらえたような気がして。
軟膜の薄さに、慣れてしまうこと
そして、いちばん怖いのは——慣れてしまうことだ。
「いつも通り」だと思った瞬間、判断が雑になる。あの細かい一秒一秒の選択が、惰性に変わる。そして、ふっと、膜が剥がれる。20年以上経った今でも、そういう瞬間が、起こり得る。
だから私は、毎回の手術で、心の中で同じ言葉を反芻する。
——破ったら、負け。
若い頃に先生が言ったあの一言を、今でも、私は手術室に持ち込んでいる。
あれから何年か
専攻医時代、あの先生のオペで、私は内心、「なぜそこまで遅いのか」と思っていた。今振り返ると、あの遅さこそが、患者さんの脳を守るための、いちばんの技術だったのだ。
何年経っても、まだ、その遅さに自分が完全に追いつけているとは思えない。何例見ても、何回経験しても、毎回、新しい怖さがある。軟膜の薄さは、いつも、私の指先よりも繊細だ。
後輩には、まず「止まること」を
そして今、私は若い後輩を前にして、できるだけゆっくり手を動かそうと努めている。彼らから見れば、私もまた、「なぜそんなに遅いのか」と思われているかもしれない。それでよい、と思う。
後輩には、手の動かし方を教える前に、まず「止まること」を教えるようにしている。「ここで止まってください」「もう一度、視野を整え直してください」。手術中、手を止める判断のほうが、手を動かす判断より、よほど難しい。私自身、若い頃は、そのことが分かっていなかった。
外来で伝えていること
外来でも、同じことを考える時がある。患者さんから「先生、手術して治してください」と仰っていただく時、私の頭の中には、いつも「壊さない」という言葉がある。
手術するということは、何かを取り除くことだけではない。むしろ、何を残すか、何を傷つけないか、を一秒一秒積み重ねることだと、私は思っている。
外来で「脳手術の時間は長くなるかもしれません」と説明する時、私は今、できるだけ正直に、こう伝えるようにしている。「何かを傷つけないために、ゆっくり進めます。トラブルを起こさないための時間を、どうか、いただきたいんです」。最初からそうお伝えしておくと、術後にご家族が必要以上に心配されなくて済むことが、多い。
「治す」と「傷つけない」は、本当は、同じ仕事の表と裏なのだと、最近はよく考える。
脳手術が長いとき
脳手術の時間の長さは、必ずしも、難しさの指標ではない。むしろ、長い手術は、たぶん、術者がいちばん多くの判断をして、いちばん多くの「やらないこと」を積み重ねた時間だ。
「軟膜を破らない」という、誰にも見えない一点に、何時間もの集中が費やされている。
それを患者さんが知る必要は、本当はない。「ただ無事に戻ってきた」というだけで、私たちの仕事は、半分以上、報われている。
けれど時々、こうやって書いておくことで、その「見えない時間」が、少しでも患者さんの安心に変わるなら——専攻医のあの日からずっと、私が手術室で繰り返している言葉を、ここに残しておきたいと思った。
破ったら、負け。
今でも、私はこの言葉と一緒に、手術室に入っている。
参考リンク:軟膜(Wikipedia) / 日本脳神経外科学会
脳動脈瘤・脳神経外科のご相談はこちら
「自分の脳動脈瘤、手術すべきか迷っている」
「セカンドオピニオンを聞きたい」
脳神経外科医 井上靖章が直接お話を伺います。お気軽にご相談ください。